鴨東幼稚園

じろ園長のこっくりほっくり

シジミチョウ

朝、幼稚園の門のところで子どもたちのお迎えをしていたとき、花壇の花にシジミチョウが飛んでいた。僕の子どもの頃は、どこにでも当たり前に飛んでいたので、アゲハチョウなどを必至で追いかける子どももあまり気に留めることもなかったように思う。
随分、久しぶりに見た気がして、しげしげ眺めてみると、なんとも美しい羽根の模様をしていて、調べてみると名前もヤクシマルリシジミという美しい名前だった。%e3%83%a4%e3%82%af%e3%82%b7%e3%83%9e%e3%83%ab%e3%83%aa%e3%82%b7%e3%82%b8%e3%83%9f

もう天国に行かれた学校の先生をしていた教会の方が昆虫が好きで、大きなカブトムシや手のひらほどもある青く輝くチョウチョなど、世界中の珍しい昆虫を標本にしておられた。それは素晴らしい標本で幼稚園でもお借りをして昆虫展などをしていたのだが、管理が難しいということでご遺族が博物館に寄贈なさったことがあった。すると博物館の方がこの辺りの昔からの昆虫が貴重で、そういう標本は有りませんかとお聞きになったそうだ。少し前には当たり前にいた昆虫が、どんどん少なくなっている現実があるそうなのだ。

シジミチョウは、まるで私たちの人生の幸せのようなものだと思った。
幸せの時間の素晴らしさは、なかなかその時には気付けないものだ。けれども、その当たり前のものが過ぎ去ったときに、初めてその時間が奇跡のように輝いていたことに私たちは気付くのだ。
子育てもやっぱり同じようなところがあって、「当たり前」どころか本当に大変だし、悩まされるし、早く大きくなってくれないかと願うこともあると思う。けれどもその幸せの時間は、いつの間にか過ぎ去ってしまって、私たちの心の中の記憶にだけ残されるものになる。子育ての苦労は我こととして十分に感じるのだけれど、やっぱり、許される範囲で大切に大切に過ごしていきたいな、と思うのです。