鴨東幼稚園

じろ園長のこっくりほっくり

料理のこと

 ある人が自分の妻に「久しぶりにピザを食べたい」と言って会社から帰ってきたら、妻がピザ生地を捏ねていたと驚いていた。彼はピザの宅配を期待していたようでガッカリしたらしいのだが、とっても素敵なことじゃないかなと思ったことだった。ピザを食べたいと言ったら手作りピザを作ってくれるなんて、夫婦仲の良い証拠じゃないだろうか。
 私が親元を離れ一人暮らしを始めた時、さぁ、自分で料理を作るとなって困ったのはレシピ本の用語が分からないことだった。小さじ?大さじ?え、なに? 確かにプリンをすくうような小さなスプーンとカレーを食べるような大きなスプーンを持っていたけれど、それってメーカーやデザインでまちまちじゃないの?と困ったことだった。謎の名前の調味料や材料、コリアンダー?シャンツァイ?パクチー? ひとつまみ、少々、適量、飴色にきつね色、弱火に強火、押したら戻るくらい、赤ちゃんの耳たぶくらい、料理は多様でファジーな情報の集合体だ。こうした曖昧さをいい加減に理解することが苦手な人にとっては、料理というのはひどく難しい業に思えるもので、正直、そうした人向けにもう少し分かりやすい料理本を出してくれないものかと思ったことだった。
 それでも一人暮らしと自炊の経験は、私にいろいろなことを教えてくれた。夢にまで見たアイスクリーム食べ放題は、好きなものでも食べ過ぎると美味しく感じられないことを教えてくれたし、小さな鍋で麺をゆでた時にはどろどろになり、そばを水でさっと洗うだけでこんなに味が変わるのかと驚いた。また子どもの頃から大嫌いだったセロリがスープやサラダの味を調えてくれる鍵だったのだと大好きになった。また料理は結構いい加減でいいんだと理解したころ、お菓子作りはレシピ通りにしないと絶対に成功しないというのもペッチャンコのシュークリームを焼いた時に思い知ったのだった。
 今はYOUTUBEでプロの料理人が作っている手順を見せてくれている動画が山ほどあるので、僕のような全く知識がなく料理を始める人にとっては本当に良い時代だと思う。最近よく見るチャンネルでは、東京でフランス料理店を開いているシェフが料理を作ってくれるのだが、まぁ、結構いい加減なのだ。食材だってなければ〇〇でもいいですよ、と教えてくれる。そして、そのいい加減さの中にこれぐらいの焦げが旨味なんだとか話しながら作ってくれるので、丁度良い色とか、水気のとび具合とかが見て分かるのだ。プロは何度も味見をして味を決めるし、いくつかの要素の組み合わせに過ぎないと分かるとソースやドレッシングを作るのも難しくないことだと思えてくる。そして番組の最後に料理に合うワインを紹介してくれて本当に美味しそうに自分の料理を食べて終わる。ああ、料理って人を幸せにするためのものなんだと実感するのだ。
 今、スーパーに買い物に行くといろいろな料理の素が売っている。それを使うといろいろな調味料を揃えなくていいし、量らなくてもいいので、あっという間に料理が出来上がる。そして間違いなく美味しくできる。それは確かに便利だし、急いでいるときなどには本当に助かるものだ。けれども料理の素という正体不明の物でしかその料理を作ることができないとしたら、ちょっと損をしているように思うのだ。
 どんな料理だって人が作ったものなのだ、だから人が作ることができる。子どもには料理は難しいものではなくて、やろうと思えば何でもできるんだということを伝えたいものだ。そう言いながら、時間の関係で幼稚園のクッキングではちゃっかり市販のルーを使ってしまったりするのだけれど、本物の料理、多様な世界の料理や食材の事をできるだけ伝えたいなと思っている。