鴨東幼稚園

じろ園長のこっくりほっくり

「好き嫌い」と「うちの料理」のこと

食事というのは不思議なものだ。生き物は成長や生きていくのに必要な栄養を取るために食事をするわけだが、それ以外の要素がたくさん含まれているように思う。例えば、好き嫌いというのは、その人の味覚の感じ方によって生じるのだが、そればかりではなくて経験による影響が大きいのだそうだ。私の父親はビールが大好きで毎晩の食事に大瓶一本が欠かせないものだった。幼ない頃の私は、膝の上でビールの泡を少しなめさせてもらったりして、飲めるようになるのを楽しみにしていた。さて20歳になって、初めて飲んだビールは、それはとても苦く苦く感じたものだ。ところが何度もビールを飲む機会があって、その経験が楽しいものだと、それが美味しく感じられるようになるのだ。私は慣れによるものだと思っていたけれど多分に経験によるものだと聞いて、なるほどと思った。というのは、苦いや渋い、酸っぱいは、本来生物が自分の体を良くない食べ物から守るために不味く感じるものなのに、美味しく感じる人がいる。臭くて危ない匂いのする食べ物ほど、好きになると何よりも美味しく感じられるのが不思議だったからだ。なるほど、その味が楽しい、嬉しい経験と結びついたのだ。
好き嫌いのある子どもにとって給食は苦痛なものだけれど、大人になった人でも給食が嫌だったと経験を語る人が多い。昔は厳しくて、残さず食べ終わるまで教室に残らされたりしたものだけれど、こうして好き嫌いの仕組みが分かってみると、仕方がないとはいえ、全く逆効果だったことが分かる。もちろん生まれついて敏感な味覚をもって生まれた子どもが、いろいろな味のする料理を美味しく食べるというのは、なかなか難しいものだけれど、それでも無理強いせずに、逆に少し食べてみたときに褒められて嬉しい、という経験を積むうちに少しずつ食べられるようになっていくのだ。
家族で楽しく食卓を囲んで食べる経験は、子どもにとって何物にも代えがたい良い思い出だ。その思い出を、それぞれの家庭の「うちの料理」と一緒に憶えている子どもはとても幸せだと思う。大人は毎日忙しいのだけれど、でも時々は少し頑張って「うちの料理」を家族で囲んで欲しいと願うのだ。そして中学生くらいになったらぜひ作り方も伝授して欲しいと思う。実は、食事というのは信仰に似ている。信仰もああしろ、これは駄目と言うだけだと嫌になってしまう。信仰は楽しく嬉しく生きていく道だ。そうして親が大切にした生き方の道が、次の世代に良い思い出と共に受け継がれていく。信仰の継承も、家庭の食事の継承も、どちらも子どもたちへの良い贈り物になるのだから。