鴨東幼稚園

じろ園長のこっくりほっくり

幸せの記憶

 猫人と同じで、猫も一匹として同じ性格の子はいない。牧師館で過ごした猫たちも、皆、違った性格をしていたし、今いる3匹もそれぞれの姿を見せてくれる。「三つ子の魂百まで」なんていうけれども、年齢によっても随分性格が変わってきたりするのだ。ぺぺ、ろろは教会の駐車場に捨てられていた兄弟で、小さい頃は二人で悪戯ばかりするので、妻にゴブリンズ(小鬼たち)と呼ばれたりしていた。男の子のペペの方が臆病で、女の子のろろの方が積極的だったのだけれど、途中から逆転してろろの方が臆病で用心深くなった。15歳を超えたくらいからは悪戯が少なくなって甘えん坊になった。この二匹には妻の膝が一番競争率の高い場所で、僕の膝は人気がない。それでもリビングに誰もいないと、僕の近くに来てじっと顔を見て、手でちょいちょいと膝を叩いて「だっこして」と甘えてくる。
若い白猫ブランは、今はいたずら盛り、好奇心いっぱいでいろいろやらかしてくれる。不思議なところは、コーヒーのにおいが好きなことと、なぜかしゃもじについたご飯粒が好き。ブランが牧師館に保護されたのは娘の友だちが拾ってきたからで、この娘が小さい頃、しゃもじについたご飯が大好きだったのだ。ブランが知るはずがないのだけれど、どういう訳かしゃもじ好きを受け継ぐことになってしまっている。ブランは今のところ、キャットフードは猫缶しか食べないし、ろろは猫缶とカリカリの両方が好き、ぺぺは基本的にはカリカリしか食べない。食べ物の好みのぞれぞれだ。好きな家族も違っていて、ペペは息子が一番、ブランは娘が一番、ろろは妻が一番で、私はそれぞれのサブという感じになっている。
そんな風にいろいろ違っている猫たちだけれども、一つだけ同じことがある。それは寝る時に額に何かを当てることが多いのだ。自分の手を目を隠すように額に当てて寝ることもあるし、座布団やソファに当てて寝ることもある。膝に乗って寝るときには、PCのキーボードを打つ腕に額を押し付けて寝ようとして仕事を妨害してきたりもするのだ。これは幼い頃、まだお母さんのミルクを飲んでいた時の記憶から来ていると言われている。お母さんのお腹に額を押し付けてミルクを飲んでいた、そんな記憶が眠気と共によみがえってくるのだろう。それはきっと普段は覚えていないような記憶なのだろうけれど、誰もが無条件に安心できた幸せの記憶なのだろうと思う。
 人というのは、沈んでしまった記憶によって出来ていると言われる。普段、忙しく考えているようなことは、実は、流れていく薄っぺらいもので、逆に忘れてしまったように心の深くに沈んでいるものが、その人の深みや説得力、そして本当のその人らしさを形作るというのだ。そういう意味では、記憶に残っていない乳飲み子のとき、お母さんの腕に抱かれた幸せの時間は何歳になってもその人の人生を支え守る大切な大切な宝物の時間だといえる。そのように考えると、しんどい時、病気の時、悲しい時、眠たい時、いろいろな時に、結構大きくなった子どもが親に甘えてくるのは当然のことで、ああ、乳飲み子の頃の親の苦労が、こうしてこの子の中に宝物としてあり続けるのだなぁと嬉しく感じられはしないだろうか。